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令和の米騒動と日本の食の未来

名称未設定 640 X 427 Pxのコピーのコピー 20240919 071754 0000 哲学・国家観のこと

こんにちは、わっしーです。

今回は、令和の米騒動と日本の食の未来ということで、令和における「米騒動」と、その背景にある問題点を戦後の米生産の変遷から現代までを振り返り、私たちが未来に向けてどのように行動すべきかを一緒に考えていきたいと思います。

なんで令和の米騒動は発生した?

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今まで日本では、私たちの食生活におけるお米の役割が非常に重要でしたが、最近ではスーパーマーケットの棚からお米が消えるという事態が発生しています。

この現象の背後には、様々な要因が複雑に絡み合っています。

わっしー
わっしー

この騒動の前後で何故かアメリカの輸入米が入ってきましたよね

戦後の米騒動は何回か発生しています。

西暦原因前後の背景
1946年戦時中および
戦後直後
秋田県の大きな湖を田んぼにする等の対策を実施
1973年冷害による国内の米収穫量の大幅な減少タイやアメリカなどから米の緊急輸入
1993年記録的な冷夏による大不作タイ米だけでなく、アメリカや中国からも輸入米が導入

1946年の時は戦後直後で、自分たちでなんとかしよう!という自立心があったことが明白です。

しかし、1973年、1993年以降は緊急輸入での対応になっています。

わっしー
わっしー

何故、輸入での対応になったのかを見てみましょう。

減反政策と米の輸入緩和

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1946年には新田開拓していたのにも関わらず1960年にはパンや麺類などの食品が人気になりました。

実はこの1960年以降のパンや麺類の人気には裏があり、

1954年7月19日 アメリカ、余剰農作物処理法成立 日本の学校給食に脱脂粉乳と小麦粉が大量に導入される。

引用:愛日学園

わっしー
わっしー

これだけですと因果関係については難しい所ではありますが関係がないとも言い切れません。

まずは当時のアメリカの問題点を見てみます。

発端は米国が戦後すぐに直面した農産物の過剰在庫の問題にある。米国の農産物は戦時中、連合国の兵食として大量に消費されていた。それが終戦とともに行き場を失うことになったのだ。

引用:日本の主食がコメから小麦に変わった背景【連載・コメより小麦の時代へ 第1回】

この記事中では第二次世界大戦中の作物が余った結果、行き場を失い、その後の朝鮮戦争で多少消費されても状況は変わらない状況を説明しています。

わっしー
わっしー

アメリカ側視点だと「小麦作り過ぎてどうしょうもない」という気持ちからこの法律が出来たと考えることが出来ますね。

日本側の気持ちに立って考えますと、

当然ながら米国は日本にもMSAの締結を求めてきた。食糧難に陥っていた日本は1954年に同協定に調印。小麦60万t、大麦11万6000t、総額5000万ドルに及ぶ農産物を受け入れた。

引用:日本の主食がコメから小麦に変わった背景【連載・コメより小麦の時代へ 第1回】

別の引用資料も見てみましょう。

日本の政財界は積極的にそれを受け容れた。

外貨不足で困っていた財界は、後払いとなった輸入農産物代金を機械や原料などの輸入にあてて工業生産の発展を図ろうとしたのである。

そして政府は小麦を低価格で大量に輸入した。

引用:忍び寄る小麦色の影-1954年のこと-【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第135回

余剰作物はあくまで「工業製品の原材料として」輸入するのが目的でした。

しかし、工業製品の原材料だとしても小麦などの余剰作物が余ってしまったが為に食糧難だった日本で流通したのが分かります。

わっしー
わっしー

でも食糧に関してはまだ自立心があったのが分かりますね。

現にこの時点では減反政策はまだ行われていないのが事実です。

初めての減反政策は1970年に行われました。

米の余剰が発生、食糧管理制度は経済状態の悪い家庭にも配慮し、買取価格よりも売渡価格が安い逆ザヤ制度であったことから、歳入が不足し赤字が拡大した。

国内各地で生産拡大へ向けての基盤整備事業が行われている最中、日本国政府は、新規の開田禁止、政府米買入限度の設定と自主流通米制度の導入、一定の転作面積の配分を柱とした本格的な生産調整を1970年(昭和45年)に開始した。

引用:Wikipedia 減反政策

そして、この減反政策の数年後に冷害からの米の輸入緩和政策により初の米の輸入がされました。

わっしー
わっしー

チャーハン等の炒め物で使うタイ米が主に輸入された為、日本の炊飯文化に合わず、不味い米と親から聞かされた覚えがあります。

また、1993年にも輸入緩和されましたがその前の背景も見てみましょう。

GATT(関税・貿易に関する一般協定)の交渉で、日本はコメの関税を維持する一方、ミニマム・アクセスと呼ばれる、最低量の輸入義務を負う条項を受け入れました。

日本の貿易黒字が世界的な批判を浴びる中、コメだけを聖域とするのは困難でした。

それまではコメ余りを理由に、政府が作付制限を課してきたため、コメ輸入でさらに需給が緩むことが懸念されていました。

引用:「平成の米騒動」でコメ輸入決定、外圧と不作で市場開放【1993(平成5)年12月14日】

頑なに日本の米文化を守ってきたのにも関わらず、この数年後に再度冷害からの米の輸入緩和がされました。

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この米騒動の背景は美味しんぼのアニメを見るとイメージつきやすいかもです。

そして令和になって何故、米の輸入緩和がされているのかを考えてみましょう。

こちらの資料を見ますと、

国内生産量の回復には、コメの一大産地カリフォルニア州での降水量増加による作付面積の拡大が寄与している。

同州では、2022年秋から2023年春にかけて歴史的な降水量を記録しており、農業生産者は生産に必要な水量を確保できている。

引用:米農務省がコメ作付け動向レポート発表、コメ生産量は急回復の見込み

とあります。

また、その前の年では、

生産量減少の主な原因は、一大産地カリフォルニア州の作付面積の減少による。

同省が2022年4月に発表した今年度の作付け予定面積は、前年比8万エーカー(約3万2,000ヘクタール)減の245万エーカー(約99万ヘクタール)、中でも、カリフォルニア州の作付け予定面積は前年比15%減の34万8,000エーカー(約14万ヘクタール)となっており、2年連続の規模縮小が見込まれているだけでなく、1983/1984年期以来最小と予想されている。

引用:米カリフォルニア州、深刻な干ばつでコメ生産量減少、価格高騰の見込み

わっしー
わっしー

2022年で干ばつによる不作→2023年に長期の雨による戻り→過剰な在庫余りで輸入緩和の流れも考えられますね。

今回もまた例年の米騒動と同じで国産米の価格が高騰し、スーパーに輸入米が並ぶ事態になりました。

全国各地のスーパーなどからコメが消えている。

都内のあるスーパーでは「原料不足などによりお米の供給が不安定になっています」と記された紙が張り出され、「一家族各日1点まで」などと、制限付き販売が行われている。

引用:スーパーからコメが消えた…南海トラフ地震注意報が拍車「まるで令和の米騒動」事態

今回も備蓄が無くて結局外国に依存するという悪しき風習が出てしまっています。

では何故アメリカや諸外国に依存しないといけないのかを見ていきましょう。

アメリカからの米輸入の影響

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では、なぜアメリカのお米が急激に輸入されるようになったのでしょうか?

それは、米国の農業政策が日本に強い影響を与えているためです。

アメリカの穀物農家は、発がん性に加え、腸内細菌を殺してしまうことで、さまざまな疾患を誘発する懸念が指摘されているグリホサートを、雑草ではなく麦に直接散布している。

収穫時に雨に降られると小麦が発芽してしまうので、先に除草剤で枯らせて収穫するのだ。

枯らして収穫し、輸送するときには、日本では使用されていない防カビ剤を噴霧する。

「これはジャップが食べる分だからいいのだ」とアメリカの穀物農家が言っていた、との証言が、アメリカへ研修に行った日本の農家の複数の方から得られている。

引用:「リスクのある小麦」の輸入を続ける日本の末路

米国は、自国の農産物を日本市場に輸出し、利益を得ようとしています。

特に、日本国内での農業が減退し、米の生産量が減少する中で、アメリカ産の米が日本市場に大量に流入しているのです。

この流れは、日本の食糧自給率にも大きな影響を与えています。

わっしー
わっしー

日本は食料自給率が低く、特に穀物に関しては多くを輸入に依存しています。

そのため、米不足が発生すると、すぐに輸入に頼らざるを得ない状況が生まれるのです。

今回の米騒動発生時の反応を見てみましょう。

米騒動発生時の周りの反応

8月末の米騒動直後の反応を見てみます。

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米騒動で実体的な価値に気付く人もいればあたふたしている人もいます。

わっしー
わっしー

自民政治の農政が悪いのは分からなくは無いのですが、根本原因としては自分は違うと見ています。

では視点を変えて、根本原因を見るためにも昔の日本から食糧難の対応策を見てみましょう。

昔の対応策を見てみよう!

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昔の対応策として江戸時代の頃の対応策を見てみましょう。

米は国家の富と見なされ、農民は米の生産を担う中心的な存在でした。

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欧米資本主義のお金中心の価値ではなく、安心安全の食事を中心とした実体価値を中心としたんですね。

幕府は年貢制度を通じて農民から米を徴収し、それを経済の基盤としました。

このような体制の下、江戸時代には地域ごとの自給自足の農村コミュニティが発展しました。

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しかし、時折発生する凶作や天候不良によって、食糧不足が起こることもありました。

江戸時代中期以降、天明の大飢饉などが発生し、農村経済は大きな打撃を受けました。

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それでも、この時代の農民は、地域社会の協力によってなんとか食糧難を乗り越えてきました。

わっしー
わっしー

この姿勢は昭和の戦後直後にも見受けられましたね

この教訓から日本が目指す未来とは?

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歴史を振り返ると、輸入に依存する政策では長期的な食糧問題を解決できないことが明らかです。

江戸時代や昭和初期の米騒動から学ぶべき教訓は、自給自足による安定した食糧供給の確保です。

こちらの動画のような理念を立て、地域の農業や産業を再興し、輸入に頼らない自立した国作りを目指すことが、これからの日本にとって最も重要な課題です。

私たちは、食の安全と安定を守るためにも、地元の農業を支援し、輸入に頼らない食糧政策を推進するべきです。

江戸時代や戦後直後のような自給自足の精神を現代に取り戻し、未来に向けた持続可能な食糧供給体制を構築することが必要不可欠です。

まとめ

今回は「令和の米騒動と日本の食の未来」ということで、何故令和の米騒動は発生したのか、過去の教訓から今後日本はどうすべきなのかを書かさせて頂きました。

  • なぜ米騒動が発生したのかを昭和から今までを時系列で説明
  • アメリカの輸入による影響
  • 江戸時代の頃の米騒動の対策とその対応策
  • 今後の日本が目指すべき形

今回のブログのポイントはこのような点が伝わって頂ければ幸いです。

また、過去にはこのような記事を書いています。

今後も「なぜとどのように」の目線で食育の解説をしていきますので宜しくお願い致します。

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